月曜日は青森で地震のあと、デウィッド・ボウイが亡くなるという超特大ニュースが流れてきました。ニューアルバムが出たばかりだったのですが、どうも本人は死期がわかっていて、最後の作品として作ったようです。
洋楽に疎い私でさえ、彼かどれだけ世界に大きな影響を与えたのか認識しています。
さて、そんなデヴィッド・ボウイと日本の関係で、一つ面白いことを知りました。
1980年に彼が京都に住んでいた、というのです。写真も残っています。





阪急電車(梅田行き)を背景にしたもの、嵐電をバックにしたものや、錦小路市場での写真など。
当時を知る方が「河原町三条上る一つめ東入る」にあったディスコに客としてきていて、女子高生をナンパしたり、片言の英語で話をしていた」といいます。
大島渚の仲介で山科に別荘があったという話も。

別荘と言われている建物。
日本でもむろん人気はあったんでしょうが、欧米にいるときよりは気楽だったんでしょうかね。
大江千里が1989年にリリースしたアルバム「Redmonkey Yellowfish」はある意味谷間に挟まれたようなアルバムだ。出来が悪い、というのではない。前年にリリースされた「1234」は名曲「Rain」を含む、大江千里中期の代表作だし、翌年にリリースされた「APOLLO」はオリコンアルバムチャート1位を獲得した珠玉の作品である。
それらとくらべるとやや地味な印象があるアルバムだと感じるのだが、ツアーをともに回ったバックバンド「HIPS」と作り上げた「We’re Travellin’ Band」、突き抜けた路線の最初である「おねがい天国」などバラエティに富んだ楽曲か盛り込まれてクオリティは高い。
大江千里のアルバムは最後に必ずバラードが入る。このアルバムの場合「いつかきっと」がそれに当たる。最近、聞き返してこの曲の秘めたパワーに改めて気付かされた。
http://petitlyrics.com/lyrics/6593
この曲はA-B-A-B-C-A-C-Aという構成。Bがいわゆるサビだけど、この曲構成のすごさは、BでもCでもなく、Aメロで終わっている点。聞けばわかるけれど、Aメロもいわゆる「解決」はしていない。「歌いっぱなし」のような印象を与えるのだが、それにこの歌詞が載ると、どうしようもない無力感と哀愁をじりじりと感じてしまう。もう少し知られて、評価されてもいい楽曲だと思う。