三重の事件と二十歳の原点

三重県で女子高生が「親友」の男子高校生に包丁で心臓を一突きされて死んだ事件。
「頼まれてやった」ということで嘱託殺人として捜査されている。この女子高生、成績はトップで進路も決まっており、一見死ぬような要素はないのだが7月に別の男と家出していたり、以前から「死にたい」と言っていたという。

これを聞いて思い出した人がいた。「二十歳の原点」の高野悦子だ。彼女も中学生のころから「死にたい願望」をたびたび日記に書いており、結局、自殺してしまった。
「二十歳の原点」はもう50年近く前のベストセラーだが、母校の先輩ということもあり、また、同じ文学部だったので、入学したら一度は読む本、みたいな雰囲気があった。生協の本屋にも平積みされていたし。しかし、僕が入学した時点でもすでに15年が経ち、キャンパスは移転していたし、学生運動なんて歴史の中のものになっていたから、読んでもあまり感銘は受けなかった。

 高野悦子の実家はいわゆる「地方の名士」の家で、姉と彼女の二人を東京と京都の2か所に下宿させることができるくらいの経済力を持っていた。父親は京大卒で県庁の官僚。今と違い女性が四年制大学に進学する率はまだまだ低いころだ。高野悦子は明治や立教にも受かっていたにもかかわらず(彼女の実家は那須で東京のほうが近い。父親は立教への進学を説得したという)、わざわざ立命館へ進学する。当時の日本史の教授陣は奈良林先生を初め、反骨の立命史学と呼ばれるほど有名だったからだ。しかし、学生運動の中で、彼女は自分の出身が「打倒すべき体制側」に位置するプチブル階級に属することに気づき苦悩する。当初は共産党の下部組織である民青に近い位置だったが、後に全共闘側になり、立命館の学生運動から全共闘が駆逐されたことによって挫折してしまう。サークルは民青に近い部落問題研究会にいたが、1年で退部し、山歩きが趣味だったので、ワンダーフォーゲル部に入るが、その飲み会で酔わされ、同級生に半ば無理やり処女を奪われる。このあたりからだんだんおかしくなりはじめ、知り合いと和気藹々住んでいた下宿を引き払って、一人になり、酒やタバコに耽溺する。親に頼らないようにとビアガーデンのバイトを始めて、そこで知り合った同い年のコックに恋心を抱き、のちに関係を持つが、すぐに避けられるようになり、自殺に至る。
 残っている写真や関係者の証言によると彼女はかなりかわいいと評判の女の子だったようだ。しかし、彼女はいまふうに書くと「頭でっかちでやや電波の入ったかまってちゃん」だったんじゃなかろうか……。
 「二十歳の原点」について詳細に当時の状況を検証したサイトが1年前に出来ていた。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~takanoetsuko/

 このサイトには高野悦子が鉄道自殺する数時間前まで一緒にいた男性の証言が載っている。さらに衝撃的だったのは、本の最後に載っていた「旅に出よう」から始まる詩のことだ。

6月22日の日記のあとに、この詩が置かれて、そして24日に自殺したことから、僕は、高野悦子が最後にこの詩を遺書代わりに書いて死んだと思っていた。しかし、この詩はかなり前に書かれたもので、編集に携わった実父によってこの場所におかれたという。それは生前「詩人になりたい」と言っていた悦子の意思によったという。
 以前は、学生運動の挫折や社会矛盾をうまく処理できずに死を選んだと思っていたのだが、最近思うに、メインの原因はやはり失恋だったのではないかと思う。