シャトルストーリー


 シャトルを持つ手が少しふるえる。心地よい緊張感。もう汗ばんでいる。夏場の体育館はただでさえ蒸し風呂のようだ。だが、暑いからといって扇風機を回すわけにはいかない。この競技に風は禁物だ。

 じり、じり、とラインの前まですすみ、ラケットをバックハンドにして、ネットの上をかするようにシャトルをリリースする。サイドラインすれすれに。
 シャトルの滞空時間は長い。すぐにホームポジションに戻り、相手の出方を見る。
ヤツは単純にライン奥へ打ち返してきた。様子を見ようというのだろう。すぐにバックステップで下がり、打点下へ入る。
バトミントンが他の競技と違うのは、打ち合うシャトルが放物線を描かないコトだ。空中でスピードを失うとすぐに失速して落下してくる。腰をぐいと回転させ、腰の回転と背筋と腕の振り、そして、スナップを効かせて、もっとも高い位置でシャトルを打つ。すると面白いように相手コートの奥へと高い軌道で飛んでいく。いわゆる「ハイクリア」だ。すべての基本でこれができないと練習にならない。野球でいうキャッチボールだ。
ハイクリアを打つとき、実際の視線は相手コートを向いている。シャトルのスピード、失速地点、自分の打点の高さは体にしみこんでいる。目でシャトルを追いかけているうちはまだまだだ。
ヤツもハイクリアで返してきた。やはり様子見か。しかし油断してはいけない。ハイクリアの連射で相手をエンドラインに釘付けにしておき、すとんとネット際へカットを打つのは小学生でもやるわざだ。柔道でいえば、内股と見せかけて体勢を崩し、体落としにいくようなもの。
ストイックなハイクリアのラリーが続く。

しかけてみるか。

スナップを効かせ、若干かぶせ気味にヤツの左へ。スマッシュではない。むろん、ふりかぶるときに気合いを入れるために「シャッ!!」と叫ぶときもあるのだが、これは相手にスマッシュを打ち込んでくると見せかけるためのかけひきだ。
若干後ろに下がったヤツはそれでも体勢をとどめて、すくい上げるようなラケットワークで僕の体の正面にシャトルを返した。テニスでもバドミントンでも同じだと思うが一番難しいのは体の正面に球やシャトルが来たときだ。
サイドステップで若干からだをズラし、バックハンドでドライブを打ち込む。お返しだ。ヤツは僕が上に上げると思っていたのだろう、後ろに下がっていた。ヤツの前にシャトルが落ちる。

「ポイント、ワン・ラヴ」
一点取るのにこれではつらいな。ヤツの弱点はどこだ。ハイクリアは伸びがあるし、ドライブもなかなかだがあとは、ネット際の処理と……スマッシュを見なければ。

ヤツのサービス。オーソドックスにサイドラインはじへ落としてきたが、少し甘い。打ち上げるのも芸がないので、クロスラインのネット際へ返してみる。ヤツはまったく反応できなかった。セカンド・ラヴ。
ネットが弱いのだろうか。しかし、僕もそれほどネットプレイがうまいわけではない。自爆する率もかなり高いのだ。
僕のサービスは手前に落とすと見せかけて、バックラインへ打ち込む。予想していたのか、すぐにバックへ下がり、そして……スマッシュ。
僕の目の前に打ち込まれた。速い。すごいパワーだ。スマッシュの速度は高校生の僕らでも時速200キロを超える。世界選手権に出ているような選手なら270~300キロに達する。新幹線より速い。スマッシュを返すには、相手の打点、クセ、そして……勘で、ここにくるだろうという場所にラケットを差し出すだけでいい。スイングする必要はない。大きな力を得たシャトルはガットの張力だけで相手のコートまで返っていく。

大柄なヤツは背筋が発達しているせいか、ドライブやスマッシュ、ハイクリアを得意としているようだが、前方へのダッシュ速度に欠けると見た。

汗がしたたりおちてくる。たまにコートの上の汗を拭くためにタイムを入れる。湯気が出てきているような感じだ。足はまだまだ大丈夫だ。手首も酷使していない。ヤツはスマッシュを連射、僕はネット際に落とすという感じで一進一退が続く。

「ポイント、イレヴン・テン」

僕はまだこの試合でスマッシュを打っていない。自分のスマッシュを信用していないのだ。体重が軽いので、シャトルにもそれが載らない。速さで勝負するしかない。
あと4点。
ヤツを走らせることにした。前後左右のはじにシャトルを集め、ネット際で沈める。
「ふんっ!!」
しかしヤツもこちらを走らせることにしたらしい。手前にカットで落としたかと思うと奥へ打ち込まれる。そのたび、飛ぶように下がりからだをめいっぱいそらしてドライブを打つ。
「シャッ!!」
と言いながらも今度はカット。カットとは、ネット際にすとんと落とすショットでドロップとも言われる。打つフォームはハイクリア、スマッシュと違わないので、相手はどういうモノを返してくるのかわからない。僕はまだスマッシュを打っていない。ゲームももう後半だ。あと3点。
相手に手の内を見せないのは大切なことだ。ヤツはまだ僕のスマッシュを「知らない」。
ぼくは「せこわざのフナハシ」とクラブのヤツらにあだ名されていた。スマッシュと思わせつつカットを打つ。カットだと思わせてドライブを打つ。決してスマッシュを打たず、相手の予断を利用して、せこくせこくポイントをかせぐ。そしていつのまにか勝っている。
スマッシュは大きく体勢を崩すことが多い。万が一返されるとこちらの対処が遅れる。一撃必殺でないと打てない。少なくとも、僕は。

隣のコートでやっていた試合が終わったようで、コート際のギャラリーが増えたように思えたのだが、あまりに集中しているので気にはならない。顎へ汗が伝う。ユニフォームと背中がぴったり張り付いている。リストバンドを少しきつめに変えた。汗止めのスプレーをグリップに吹きかける。

軟弱な競技とおもわれがちなバトミントンだが、運動量はものすごいものだ。試合になると、コートが何倍にも広く感じられる。ホームポジションから3歩ですべての領域をカバーしなければならない。ラケットに当てないと、それは負けになる。スピードと繊細さと。相手を読み、こちらを読まれないように。
僕は体が細いからスタミナに自信がない。このままだと消耗させられる。最後2点は速攻で行くか、と思っていた矢先、してやられた。
逆に速攻でサイド・スマッシュを打ち込まれた。あの体勢からは打てないと思ったのだが、想像以上に体が柔らかいらしい。
「サーティーン・イレヴン」
賭けてみる。ヤツはつぎのサービスは手前に落としてくる。そのハズだ。信じる。
「シャッ!!」と気合いを入れる。にらむ。
ちょっとでもリリースされたシャトルが浮いたら、たたきつける。
ヤツの肩が上下する。こうなると微妙なコントロールが要求される手前よりも奥へリリースする可能性が高い。しかし、そう思わせて、手前に来る可能性もある。僕は決めたんだ。ヤツは手前に落としに来る。しかし、あの呼吸では絶対に「浮く」。

ふわりとリリースされると同時に前へ出た、えっ?というヤツの顔。案の定、「浮いた」。たたく。

「フォーティーン・イレヴン」

マッチポイントまで来た。こちらのサービス。

奥へ打ち込み、スマッシュに備えるが、ヤツはハイクリアで返してきた。疲れているのか。
せこわざを使うか。
スマッシュと見せかけカットを打つも見透かされていた。逆にネット際へ落とされる。うわ、でかい図体してるくせにそんなせこい手使うな。ここで、大きく奥へ打ち返す。僕はここまでネット際にきたシャトルはすべてネットで返していた。そろそろ裏をかく。案の定、手前に張り付いていたヤツはあわてて下がるものの、ドライブのような軌道を描くシャトルは、速くコートへ落ちていく。

が、しかし、ヤツは驚異的な粘りでそのシャトルを大きく奥へ打ち返してきた。しかし、シャトルに力がない。おそらく、フレームに触れたのだろう。ふらふらと上がるシャトル、ほぼコート中央が打点下だ。

いけるかもしれない。

すでに打点下に入った僕はちらりとシャトルを仰ぎみると、ジャンプして、たたきつけた。
「シャッ!!」

シュパーンッッッ!!

へしゃげたシャトルはヤツのコート中央にたたきつけられ、そのままコートの奥まですべっていた。空中にはインパクトではがれた羽がまだ、ふわふわと浮いていた。
「ゲーム・セット!」
無表情にネット下でヤツと握手を交わす。
試合は終わった。

ダブルスを組んでいるカズヤが笑いながら話しかけてきた。
「おまえ、最後の最後でジャンピング・スマッシュか~? かっこつけすぎ」
「そんなんじゃないよ」
練習試合だから1セットで終わりだ。とりあえずは勝った。

今日は他校との練習試合。相手はなんども近畿大会に出ている学校だ。ヤツも2年だというが、実力はそこそこ拮抗していたのだろうか。わからない。

汗だくのまま、体育館を出る。風が流れていて涼しい。入り口の階段に腰掛ける。

「フナハシくん」
振り向くと、女子バトミントン部キャプテンの松阪がいた。僕はほとんど話をしたことがない。もともと同じクラブでも男女間の交流がほとんどなくて、夏期合宿のしあげであるこの他校との試合くらいしか、同じ時間にコートで練習もしない。
松阪は学年で五指に入ると言われているほどの美形だ。成績もいいらしい。もっとも、クラブでは真ん中くらいの実力、成績はぼちぼちだが、ルックスもそんなに自慢できない俺には関心を持っても意味のない対象だと思う。
風にただよってくる甘い香り。同じ汗の香りのはずなのに、女の子の汗の匂いって、ちょっと……ドキドキする。

「フナハシくん、試合、見てたよ」
「そっか」
「フナハシくんのスマッシュ、初めて見た」
「あまり打たないからね、俺」
「やたらスマッシュばっかていうのも頭悪そうだよ。ああいうふうに揺さぶるっていうのは、なかなか私にはできないな」
「体力ないから、ああするしかないんだよ。せこわざのフナハシ。俺にとってはいいアダ名だな」
「いやなの?」
「いや、そうじゃないよ。誉められてると思ってる」
「フナハシくん、」
「ん?」
「最後のジャンピング・スマッシュ……かっこよかった」
「え」
「はい、これ。汗拭かないと風邪ひくよ」
そう言って、松阪は自分のタオルを僕に投げ渡して、コートへ戻っていった。

「おいおいおいおい、松阪と何話してたんだよ~」とシンゴ。 我が男子バトミントン部のキャプテン。
「そうそう、おまえの試合のとき、じーっと見てたしな」カズヤまで来たのか。
「そういうおまえは松阪のことじーっと見てたしな」
「ぐげ。ばれてた? いや、いつ見てもかわいいよなぁ。スラリとしてるけど、出るとこ出てるし~。足なんてカモシカのようだしな~」
「おまえ、そんなトコばっか見てるのかよ」
「しかしなー、フナハシよぉ、なんだか、怪しいよなぁ~タオルまで貸してもらって」
「そんなんじゃないよ。あまり話したこともない」
「あーあ、俺も松阪の前でジャンピング・スマッシュ決めてみてぇ~」
「おまえの試合、これからだろ。がんばれば?」
「それが、これから松阪の試合なんだよね」
「そうか。そりゃ残念」
「おい、見にいこうぜ」

促されるままにコートに戻る。むっとした空気に包まれる。入り口から見て、一番奥の左で松阪の試合が始まっていた。コートのはじのほうへ行くと、松阪と目が会った。
大人びた顔を少しほころばせて僕を見る。そして、そのくちびるが「み・て・て・ね」と動くのが見えた。

(つづく?)