京都・奈良・大阪・岡山ツアー 6日め
ツアー6日め。いよいよ海を渡ります。
9時に笠岡の伏越港を出港する「大福丸」に乗ります。
綿密な計画を立てていましたが、この船に乗れないと計画はご破算になってしまうため、予約しようと考えていましたが、どこにもそういうフォーマットがありません。
笠岡市観光協会に電話すると「予約は取ってないと思う。そんなに混まないし」とのこと。大福丸の公式HPに載っていた電話番号にかけてもつながらないため、FAXで予約したい旨連絡したのが1か月前。折り返しかかってきたのは多分船長さんで「大丈夫、大丈夫、ガラガラだから」と笑いながら言ってました。「一応、前の日にでも連絡して」と言われていたので、ホテルから連絡すると「ああ、FAXの」と覚えていてくれました。相当、変わった客だったのかもしれません。
さて、港へ着くと整理しているおじさんの指示で車を止めておきます。
なんだかたくさん車がやってきてファンになってきます。
フェリーは前方の鉄扉を前に下ろして着岸し、車を収納する方式。客は徒歩で適当に乗ります。料金は船内で徴収。
出航して45分で到着ですが、その間に料金徴収。「一人?」と兄ちゃんに聞かれたので「2台、8人」と応えると驚かれました。家族が固まっているところに連れて行き支払。そのとき、母親が寄港先の北木島の出身であること、26年ぶりの帰省であることを伝えたら、興味深そうに話しこんでいました。かなりローカルな地名や建物が飛び交っていたのであまり理解できませんでしたけど。
車が25台も載っており、ほぼ満車状態なので聞いてみると「昨日も前の便もガラガラ。この便だけなんでか多くて、理由もわからん」とのこと。こわいこわい。
港に到着して荷物だけでも下ろそうかと宿泊場所へ行くものの、誰もおらず、まずはオカンの育った集落へ。
瀬戸内の小さな島、その半島状の南斜面に村の墓地がありました。海を望む場所に段々畑のように、江戸時代からのお墓が並んでいます。気持ちのいい風が吹き抜けていきました。
移転したあとの墓地あとはうっそうと草が生い茂っており、灌木もかなり大きくなっていました。
なにもないと思っていたら、地蔵や墓石がまだ残っていました。
お腹がすいたので再び宿泊場所へ。とにかく過疎が進んでおり、宿泊できる場所は3軒のみだし、商店はほぼ皆無なのです。
そこでご飯を食べて再び、出身集落へ。
今度は実家です。
オカンの父、つまりは歯型の祖父はクリーニング業をしていました。
大きな家屋の離れが作業場になっていたようです。
ここまでかなり登ってきたのですが、空き家や空き地が多かったです。ちなみに、自動車が入れるような幅もありません。バイクか自転車ですが、自転車もかなり辛いくらいの勾配です。
オカンはこの島に二十歳まで住んでいました。中学卒業のあとこの島で仕事をしていましたが、就職で大阪に出たのです。この家にはもう30年以上、常住している人はいません。今年の冬に取り壊すとのことなので、最後のお別れに。途中、同級生のいとこと26年ぶりの再開。いとこがオカンに放った第一声は「あんた太ったなあ。昔は細かったのに!」一同大爆笑。
この北木島は石の島。古くは大坂城の石垣、明治になってからは日本銀行本館、靖国神社の大鳥居、外苑の絵画館や神宮橋など、みな、この島から切り出したもので、「北木石」と呼ばれる最高ブランドなのです。
今も採掘は行われ、海面下まで掘り進んでいます。ドローン撮影したい迫力でした。
それと。ここは釣り師の島。外周道路から竿を出す人、浜釣りの人。釣り船チャーター。行きの船にもたくさんの釣り師が乗っていました。
宿泊は「グルメ北木島」。4部屋中、3部屋を我々が使用。あと1部屋使っていた夫婦は肩身が狭かったかな……。
お風呂は特製の石風呂で、北木石を敷き詰めた浴槽だったのですが、これは実に気持ち良かったです。
夕食は豪華絢爛。オーナーシェフがフランス料理畑の人でとにかく量が多いです。
これで終わりとこの写真を撮ったのですが……
このあとに煮魚とてんぷらが来ました。
さらにお好みで「たこ飯」と「カニ汁」。
「少ない」と思われるよりはたっぷりと出したいというポリシーのようでした。
もちろん味もおいしかったです。
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