たかじんと「砂の十字架」。

やしきたかじんが死んでしまった。
殺しても死なん感じだったのに。

関東に住んでいたらほとんどの人はその名は知っていてもどのくらいの売れっ子なのかは実感できないだろう。

たかじんは東京に一度は進出したけれど、扱いのひどさや失敗体験から二度と東京キー局の番組は出演しないことにした。関西で爆発的人気が出ても、その番組を東京キー局でネットすることも拒絶した(独立系のテレビ神奈川とかはOK)

もともと歌手で、堀内孝雄とは大学の同級生にあたる(だから、たいていの人は「たかじんさん」と呼ぶのに堀内だけは「やしき」と呼ぶ)

歌手としては不遇の時代が続いており、その時代に歌ったのが「砂の十字架」だ。
ガンダムファンにはおなじみの曲である。

私は大阪で生まれ育ったので当然やしきたかじんの名前は知っていたが、機動戦士ガンダム映画版のエンディングでどうしてたかじんの曲が流れたのか当初は不思議だった。

当時たかじんはキングレコード所属だったが、あまり売れておらず新曲を歌わせてもらえない。ガンダムはキングが所管していたが、監督の冨野は大の谷村新司ファンで主題歌のオファーをした。しかし、当時の谷村はポリスター所属で直接歌うことはできない。
そこで所属事務所の後輩でキング所属だったたかじんに自ら作った詞と曲を提供して歌わせるということになった。たかじんの当時のディレクターが土下座して「たかじんに新曲を」という願いに、このような事情があった作られたのが「砂の十字架」だった。

しかし、後年たかじんはこの曲をまったく歌わなくなった。アルバムにもベスト版にも入れていない。アニメの主題歌だったから、という説がまことしやかに流れたが、晩年になってガンダムにも理解が進み、自ら語ったことによると、「砂の十字架」を拒否した理由は以下のとおり。

・歌詞がよくわからない。谷村に説明を求めても「深く考えなくてええんや」と話をはぐらかせられた」
・ジャケットがアムロのイラストで、自分が写っていなかった。
・当時キャンペーンで監督の冨野と全国を回ったときに、そうとういじめられた。

冨野は当時、ようやくヒット作を作ったことで天狗になっており傲慢になっていたという。その後、ガンダム以上のシリーズを作りだすことが出来ずうつ病にかかって休養する。
たかじんは1曲作るにも合宿するほどこだわりのある歌手だったので、そのようなウラのある「砂の十字架」のことを「人生最大の汚点」を公言しており封印していた。

願わくば一度でもいいから生で歌っている姿を見てみたかったのが、もうそれもかなわぬことになってしまった。

年末から音楽関係の御大の逝去ニュースが続く。
悲しい。