インドとバングラデシュの領土交換

おお、やっとかというニュースが。

インドとバングラデシュの国境付近には無数の飛び地地帯があって、住民は非常に不便に暮らしていたのですが、このたびやっと、領土交換で飛び地解消することになったとまこと。

飛び地とは一つの国の領土や行政区画の内、地理的に分離している一部分のことで、たとえば、和歌山県のこことか、

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川崎市麻生区のここ↓

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国家単位でいうと、東西分断中の東ドイツの中の西ベルリン、モロッコにあるスペインの飛び地セウタなど。アラスカ州はアメリカ合衆国の巨大な飛び地、と考える人もいます。

その中で特A級の飛び地だったのが、インドとバングラデシュのビハールにある飛び地。
インド領に95か所のバングラデシュの飛び地があり、バングラデシュの中にインド領が129か所。しかも、飛び地の中にある飛び地の飛び地、という何を書いてるのかよくわからないところまである始末。

オレンジがインド、グリーンがバングラデシュです。

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これが「飛び地の中の飛び地の中の飛び地」。
「バングラデシュ領内にあるインド領飛び地の、その内にあるバングラデシュの飛び地の、その中にあるインド領」。

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そもそもなぜこんなことになったのか。

17世紀、このあたりはクーチ・ビハール王国の領土だったが、西からムガール帝国が攻めてきてこのあたりを占領したため。

その後、ムガール帝国がイギリスに滅ぼされて、イギリス領インドになったときは、旧ムガール帝国領はイギリス直轄領、クーチビハール王国はクーチビハール藩王国領という違いだけだったので(直轄領か間接統治かの違い)、問題は起こっていなかった。

ところが、イギリスからインドが独立するときに、ヒンドゥー教徒の多いクーチビハール藩王国はインドとして、イスラム教徒が多かった旧ムガール帝国領の東ベンガルは東パキスタンとして独立。

その後、現在のパキスタン優位の統治に反発した東パキスタンが独立戦争を起こしてバングラデシュとして独立。このあたりの国境も飛び地のままとなってしまった。

あまりにも面倒なこの飛び地を領土交換という形でなんとかきれいにしようと両国の交渉が続いたけれど、インドのほうが領土が減るからという理由で反対運動が起きたり、領土交換には憲法の改正が必要とするインド最高裁の判決が出たりで、話がのびのびになっていた。

このたび、やっとインド議会で憲法改正案が承認されて、両国の国境確定が決まった。

住民はインドかバングラデシュか、どちらかの国籍を選べる。
インドからバングラデシュ領となる住民は約3万7千人、バングラデシュからインド領となる住民は約1万4千人。前者は約1000人がインド国籍維持による移住を選択した。一方、後者は全員が現在の居住地に留まり、インド国籍へと変更した。