宇宙戦艦ヤマト2199 第4章

今回は全26話のうち、11話から14話に相当する。

第11話
前回、次元断層に落ちたヤマトは同じく次元断層に落ちたガミラス艦と共同作戦を取って、その場を脱出したが、そのときの連絡役として乗り込んできた敵パイロットの言った言葉、「地球から先に戦争をしかけてきた」という言葉に艦内は動揺する。
そして、それが真実だった。
太陽系に接近してきたガミラス艦隊に対して地球艦隊は先制攻撃を決定、拒否した沖田を解任。代わりに攻撃を行ったのは島の父だった。とはいえ、島の父がタカ派だったというわけではなく、出征するときには幼い島に「宇宙人と友達になりにいく」と言い残している。その彼が攻撃をしたのは、命令には絶対服従しなければならないという軍人精神に忠実だったせいだった。
古代は敵パイロットを尋問するなかで、「敵にも信頼できる人はいる」と感じ、島と対立する。佐渡先生の身体チェックではガミラス人のDNA組成が地球人とまったく同一であることがわかる。
思えば、旧作は話の始まりではもう地球は滅亡に瀕しており、ファースト・コンタクトの話もなかった。問答無用の無差別攻撃という設定は大きく変えられている。
また、旧作ではガミラス人は放射能を含む大気でないと生きられない、ということになっていたが、その設定は今作にはない。なお、この話から「中間地点・バラン星」が出てくる。

第12話
主にガミラスの話。旧作ではガミラス内部の政治の話はほとんど出ていないが、今作ではそこも描かれている。小マゼラン雲方面の司令官だったドメル中将が首都バレラスに召還、勲章の授与と上級大将への昇進、そしてヤマト討伐を命じられる。
ドメル艦隊がそれまで戦っていた敵は、なんと「さらば宇宙戦艦ヤマト」の敵役であるガトランティス。特徴的な艦形ですぐわかった。
デスラーはヤマトがどこへ向かって進んでいるのか感づいたようで、ホットラインをかけている。相手が誰かは明確にされていないが、視線の先にあるのは空に浮かぶ青い星……イスカンダル。
そういえば、ガミラス星は旧作では外殻と内殻を持つ惑星として設定されていたが、今作にはそれがない。決戦の時は濃硫酸の海に突き落とし、頭上と地上から大量のミサイルを降らせたのだが今作ではどうするのだろう。
そして、デスラーは遷都を考えているという。まさか、イスカンダルに遷都するというのだろうか……。

第13話
ドメルがヤマトに放った刺客は「宇宙戦艦ヤマトIII」に出てくる次元潜航艇。宇宙における潜水艦のようなもので、亜空間に潜み奇襲をする。ただ、潜水艦隊があるわけではなく、特務艦として1隻しか存在していないようだ。根気比べの結果、先に動いたヤマトが発見されるものの、古代の機転で潜航艇の潜望鏡を破壊して、敵の目をつぶしたため攻撃を回避できた。敵潜航艇の副長は、その特徴的なセリフ回しから絶対に千葉繁だと思ったのだが、違う人だった。そっくりだったのだけど。

個人的には宇宙に潜航する、という話はあまり受け入れられない。ワープはあれだけの大推力で一気に飛ぶから異次元空間へ行けるのだし、次元断層も波動砲でないと突破できないのに、小さな船が任意に亜空間にとどまり続けられるのであれば、すべての艦にその機能をつければいい。次元断層からもすぐに抜けられるのではないか。そのあたりの矛盾を感じた。

第14話
これは旧作にはないオリジナルの話。精神感応能力のある種族(ガミラスに併合された)がバラン星にある先史文明の遺跡を使って、ヤマトのクルーへ精神攻撃をしかける。クルーはすべて「自分にとっての大切な人」の幻影を見、そして戦闘力を無くしてしまう。
旧作ではバラン星は太陽を持たない孤独の惑星ということになっていた。今回はまだそこまでの説明はないが、「ゲシュタムの門」と呼ばれるワームホールを作るほどの科学力をもった種族が住んでいたとされる。ワームホールは別の映画では「スターゲート」と呼ばれたもので、恒常的に存在するワープ空間への入り口。
さて、クルーの幻覚の中で最も驚いたのは森雪。彼女はここ1年の記憶しかない、という。そして、1年前の事故。運ばれた病院で出逢ったもう一人の自分……。そう、波動コアを届けて死んだスターシャの妹、サーシャが来る1年前にもイスカンダルから使い-ユリーシャ-が来ていた。森雪は実はユリーシャなのか?
精神攻撃は幻覚に打ち勝った古代によって破られ、敵の思念を波動コアの接続室に閉じ込めたのちに起動したため、遺跡にいた本人は死亡、ヤマトのクルーは正気を取り戻す。
幻覚シーンはエヴァンゲリオンで使われた表現が多数見られた。
この話では岬百合亜の行動表現がよくわからなかった。前章で彼女は霊感体質で幻覚を見るシーンがあったのだが、今回は一人だけ幻覚を見ていない。

第5章は4月13日公開。その頃にはテレビ放映も始まるし、春になっているなあ。


幸福論/中島みゆき

1984年リリースの「はじめまして」というアルバムに収録されている曲。シングルカットはされていないので、ファン以外にはあまり知られていないと思う曲。

高校生だった私にはこの歌詞は強烈だった。

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今夜泣いてる人は 僕一人ではないはずだ
悲しいことの記憶は この星の裏表 溢れるはずだ
他人(ひと)の笑顔が悔しい 他人の笑顔が悔しい
そんな言葉が心を飛びだして飛びだして 走り出しそうだ

笑顔になるなら 見えないところにいてよ
妬ましくて貴方を憎みかけるから
プラスマイナス 他人の悲しみをそっと喜んでいないか

闇が回っているよ 星を回っているよ
嗚咽を拾い集めて ふくらんでふくらんで 堕落していくよ
薄い扉を隔てて 国境線を隔てて
泣いてる時はみんな ひとりすつひとりずつ 膝を抱くのだね

孤独が恐けりゃ誰にも会わないことね
いい人に見えるのは 他人だからよね
生まれたばかりの子供は欲の塊 叱られそうな説ね

プラスマイナス幸せの在庫はいくつ
誰が泣いて暮らせば僕は笑うだろう
プラスマイナス他人の悲しみをそっと喜んでいないか

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幸福定量論はよくある論説だが、それを踏まえて、心の底にある妬み、嫉みを鋭く描いている。

「他人の不幸せは蜜の味」とはよく言ったものだが、結局、新聞の三面記事にある不幸せな事件記事を読みながら、小市民的な自らの平凡な幸せにホッとしている。
大多数の人はそうなのだろう。それでも、そんな平凡な人の心の中にでも、邪悪な一面が現れることを指摘されたようで、衝撃だった。

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アルバム「寒水魚」「予感」「はじめまして」の三部作は、後年、中島みゆき自身が「御乱心の時代」と称した、いわば「模索」の時代だ。デビュー曲の「時代」や、その後の中島みゆきといえば失恋ソング、といったイメージでこの時代の曲を聞くと、その多彩さに驚く。この「幸福論」もかなりアップテンポのロックンロールだ。この時代には古くからのファンがその変貌に追いつけずに多数離れていったともいう。

私が初めて中島みゆきのフルアルバムに耳を通したのは、1980年「愛していると云ってくれ」からだ。このアルバムには「3年B組金八先生」の最終回で使われ有名になった「世情」が収録されている。確かにこの時代の中島みゆきの楽曲はパブリックイメージとそう違わないのだけど、「親愛なる者へ」「おかえりなさい」(セルフカバーアルバム)「生きていてもいいですか」「臨月」と続く中で、徐々に変化してきているのはわかっていた。ただ、私の場合、同時期に聞いていたのがオフコースや山下達郎といった、より派手目な曲だったため、中島みゆきのサウンド面の変化はとくに気にならなかったのかもしれない。