AKB48峯岸みなみが丸坊主に。コメント文掲載

AKB48の峯岸みなみがダンスグループ「GENERATIONS」のメンバー白濱亜嵐(あらん)の自宅にお泊りしたことを週刊文春が撮影、掲載された。
峯岸は1期生でノースリーブスのメンバーとしても活動。昨年の総選挙では14位。
白濱が所属する「GENERATIONS」はEXILEの弟ユニットで、俳優としても活動している。
峯岸とは2011年の秋に朗読劇で共演していた。

共演時の写真

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白濱の自宅から出てきたときの写真

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峯岸と白濱

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白濱の自宅前でハッキリと撮影されており、言い訳のできない状態で、過去の処分からすると一発解雇ものの大不祥事と言える。そんななか、峯岸の扱いがどうなるのか注目されていたが、夕方に公式サイトにアップされた映像に驚いた。峯岸は長かった髪を完全に切り、丸坊主状態になっていたのだ。

以下がその動画で、私が昔ならした「テープ起こし」の技術で文字に起こしたもの。

AKB48 梅田チームBの峯岸みなみです。
このたびは今日発売される週刊誌の記事の中にある私の記事のせいで、メンバーやファンのみなさん、スタッフさん、家族、たくさんのみなさんにご心配をおかけしまして本当に申し訳ありません。

(長く深くお辞儀)

2005年に結成されたAKB48の第1期生として、後輩のお手本になるような行動を常に取らなければならない立場なのに、今回私がしてしまったことはとても軽率で自覚のない行動だったと思います。

頭の中が真っ白で、どうしたらいいのか自分に何ができるのかわからなかったのですが、さきほど週刊誌を見て、いてもたってもいられず、メンバーにも事務所の方にも誰にも相談せずに、坊主にすることを自分で決めました。

こんなことで今回のことが許していただけるとはとても思っていませんが、まず一番初めに思ったことはAKB48を辞めたくないと思ったことでした。

青春時代を過ごしてきた大好きなメンバーがいる、そして温かいファンのみなさんがいるAKB48を離れることは今のとっては考えられませんでした。甘い考えなのはわかっていますが、できるのであればまだAKB48の峯岸みなみでいたいです。

今回のことはすべて私が悪いです。本当にごめんなさい。
これからのことは秋元先生や運営のみなさんの判断におまかせします。
まだ整理はついていませんが、今思うことをお伝えさせていただきました。
ありがとうございました。

(長く深くお辞儀)

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峯岸みなみはプロダクション尾木の所属。けっこう老舗の事務所で、こういう問題には厳しいと聞いたことがある。にしても、事務所に相談もせずに断髪したとすればそれはそれで問題ではないだろうか。
仕事がもし入ったらウィッグでもつけるつもりなのだろうか。

AKBを辞めたくない、というのはわかるけれど、これはこれで問題のような気がする。いずれにしても半年は表舞台に立てないだろうし、髪が元に戻るのは2年くらいかかるのではないか。

AKB以外にもノースリーブスとしての活動がある。他の二人に対しての示しというものもあるだろう。

チームBを外され、研究生に降格という処分となった。過去に菊池あやかがやはり男性問題で解雇されたのちに、再びオーディションを経て、研究生となり、昇格したことがあるが、以前のような人気はもっていないと感じる。

指原の場合も厳しかったが、第三者のタレコミ、というところでまだ言い逃れができるところだったが、今回は週刊誌のカメラマンに押さえられどうともできなかったのだろう。また、文芸春秋社は芸能関係も容赦がないので、ちまたで言われている「AKBの圧力」が効かなかったのではないだろうか。


乗り物酔い。

私は小さい頃からよく乗り物酔いをしていた。
電車だけは乗っていたので平気だったが、自家用車がなかったので、車はまったくダメ。バスも使うところには住んでいなかったのでダメだった。
だから、年に何回かある遠足や社会見学でバスに乗ることになると休むほどだった。
一度、社会見学のバスで思い切り酔ってしまい、到着したはいいが、駐車場で派手に吐いてしまった。あの屈辱感は忘れられない。だから、大阪の子供なら一度は見学したことのある造幣局や森永のお菓子工場、松下電器の工場に私は行ったことがない。
遠足は幸いにしてほぼすべて電車移動だったので助かったけれど。
酔い止めという薬があるのを知ったのはかなりあとだったんだけど、飲んで効いたという記憶がない。

そんな私に大きな関門があった。
中学の修学旅行だ。行き先は富士山と伊豆。
新幹線で静岡まで行き(このとき生まれて初めて新幹線に乗った)、そこからはずっとバスだ。五合目までバスで上がり、少しの距離を歩き、またバスで移動。西伊豆の堂ケ島温泉へ。バスの行程が恐ろしく長い。

学校は乗り物酔いの対策を考えてくれていた。
任意で乗り物酔いの注射を受けさせてくれたのだ。
注射は旅行の1週間くらい前に2度に分けて打たれた。
これで旅行の行程すべてをカバーできるらしい。
そんなに前から打って効くのかなと思ったのだが、これが効いた。

修学旅行のバスでまったく酔わなかったのだ。その代り、静かなところで横たわると、「ずっと体が揺れている気がする」という副作用があったのだけど(笑)

大学生のときには大阪南港から出ている沖縄行きの貨客船に乗った。当時のガールフレンドと一緒の旅行で、彼女は酔ってしまったのだが、私は平気だった。帰りは飛行機だったが、これも大丈夫だった。

つまり私はパスやタクシーにのみ弱いということだ。

しかし、それも克服の時が来る。
編集者として就職すると終電後に帰宅になることがあった。当時はまだバブル期。
タクシー代を会社も出してくれた。職場から当時住んでいた世田谷区上用賀までは車で1時間かかる。青山通り~R246~世田谷通りと幹線道路1本で済む道のりだが、最初のころはやはり酔った。家に転がり込んでそのまま気持ち悪くなって寝る、という状態だ。
しかし、仕事が終わらず何度も何度もタクシーで帰宅しているうちに、酔いがマシになってきた。

もう一つは通勤経路の変更。
当初はバイクで千歳船橋駅まで行き、そこから新宿経由で通っていた。
しかし、バイクが壊れたのをきっかけに少し経路を変えた。
実は住んでいたアパートから徒歩1分のところにバス停があり、10分に1本は成城学園前駅のバスが通っていた。このバスに乗れば15分ほどで成城学園前に行ける。
千歳船橋は各駅停車しか止まらないが、成城学園前は急行が止まる。ここから乗ったほうが新宿到着が速い。朝だと、小田急線は経堂と東北沢で2回追い抜きされることがあった。(経堂に停まる準急の運航はまだなかった)
急行だと成城学園前の次は下北沢、次に代々木上原で終点の新宿だ。途中2つしか止まらないのはいい。あとは駅前に大きな書店と立ち食いそばがあった。完璧である。

というわけで毎日毎晩、私はパスで駅に通うようになった。最初は軽く酔っていたが、それもだんだん薄れていき、いつのまにかバスの中で本を読めるまでになっていた。

そんなわけで上京して4年後にはすっかり乗り物酔いを克服していたのである。