米大統領選挙、大接戦。

明日にせまったアメリカ大統領選挙。今回はまれにみる大接戦となっている。
選挙は直接投票ではなく、各州ごとに割り当てられた「選挙人」を選出する。
各州で勝った候補者がその州の「選挙人」を総取りするという間接選挙。
(州によっては得票率による比例配分も)
この選挙人の数は総数538人。理屈では269人ずつ、という事態も起こりえる。
以前に一度だけ、1800年(212年前!)の大統領選のときにこのような事態が起こっている。

こうなってしまった場合、米国憲法の規定によって、大統領は議会下院、副大統領は議会上院による投票で決まることになる。今回の大統領選と同時に上下両院の議会選挙も行われているが、下院は共和党優位、上院は民主党優位という現在の趨勢は変わらないと見られている。そうすると、下院によって共和党のロムニーが大統領に、上院によって民主党のバイデンが副大統領(憲法により上院議長も務める)という、正副で違う政党からの選出というねじれ現象が起きかねない。

フランスでは大統領と首相の党派が違うという「コアビタシオン」という状態が起こることがあり、日本でも参議院が野党多数となり、いわゆる「ねじれ」現象が起こって政治が停滞する。

では、1800年(フランス革命の時代!!)の米大統領選挙ではどうだったか。
当時の米国領土はミシシッピ川以東しかなく、州は16(独立13州+ヴァーモント、ケンタッキー、テネシー)しかなかった。
当時の規定では正副大統領候補と明確に決める規定はなく、得票1位が大統領、2位が副大統領となっていたのだが、このとき、トーマス・ジェファーソンとアーロン・バーが同数の選挙人を獲得することになってしまった(党は両方とも民主共和党、周知の事実だったが、ジェファーソンが大統領候補で、バーが副大統領候補だった)

選出は下院に移った。16州あるので9州を押さえたほうが勝ちだったのだが、下院は民主共和党と敵対する連邦党が多数を占めており、宿敵であるジェファーソンへ投票するのにためらいのあった者たちがバーに投票した結果、ジェファーソンが8州、バーが6州、白票が2州と過半数を取るものが決まらず、実に35回も投票を繰り返した。連邦党党首だったハミルトン(独立戦争のとき、ワシントンの副官だった)が、ジェファーソン支持を明言したため、36回めでようやくジェファーソンが大統領に選出された。
この混乱の反省から、憲法修正第12条が決められた。

ちなみに、バーとハミルトンはニューヨークの法曹界でのライバルで、いろんな事件によって敵対し、憎悪した結果、「拳銃による決闘」で決着をつけることとなり、ハミルトンが下腹部を撃たれ死に、バーは殺人罪裁判から逃れるため逃亡したが、審理されることがなかったためワシントンに戻り、副大統領としての職務を全うした。