吉田茂の蕩尽。

戦後日本を導いたワンマン宰相、吉田茂。
彼はもともと土佐の自由民権運動家、竹内綱の五男として生まれた。母親は芸者だったらしく今も身元はわかっていない。しかも、竹内が逮捕された直後だったため、竹内の友人である吉田健三が後見となった。

吉田は貿易商をしており、実子がいなかったため、茂を養子とした。
実父がなくなったあと、自らも病気になり、40歳で亡くなってしまった。
遺産はそっくり11歳の茂のものとなった。

この遺産、当時のお金で50万円。
吉田健三がなくなった1888年当時、コーヒー1杯が1銭5厘、ビール大瓶が18銭、米5kgが30銭。今のレートで考えると、コーヒーだと2万6666倍、ビールだと1888倍、米だと1万倍。あまりにバラバラなので厳密な換算ができないが、おおむね、現在の50億円に相当すると言われている。

ところが、茂はこの遺産のほとんどを使い果たした。未だに何に使ったのかは謎になっている。50億円も何に使ったのか……。大磯の家や戦前にロールスロイスを購入しているのだけど、それだけではないだろうし。

戦後、総理大臣に押されたときに「金は作らない」と言ってたので、そのときにはもう遺産は残っていなかったのだろう。