郷土史を調べる(3)

明治時代の地図でこのあたりを見てみると。

明治時代2万分の1

田んぼだらけですね。それはわかってたんですけど。

実家があったのは「大蓮」というところです。
今は「おおはす」と呼んでいますが、昭和47年までは「おばつじ」と呼んでいました。難読地名として有名だったところです。

そして、地図の真ん中を上下に貫通しているのは川。河原の巨大さに比べると本流の長瀬川が細いと思うかもしれません。
実は、この川はもっと大きな川だったのです。

大阪の小学生なら必ず習う「大和川の付け替え」です。

今は、大阪平野に出てきた大和川は、そのまま西へ流れて堺のほうで大阪湾へ注ぎますが、この流路は江戸時代に人工的に掘られたもので、それ以前は、柏原市から北西に流れ、淀川に合流していました。このあたりは奈良時代までは海が入りこむほど土地が低く、土砂堆積で平野になったあとも洪水がたびたびあったため、流路を変更したのです。

この巨大な河原は昔の大和川の跡なのです。