郷土史を調べる(4)
さて、地図もあったし、ぐねぐね道の正体を調べましょう。
1920年の地図。
斜めに「北八尾街道」という道が走っています。(1)で、「子供には国境みたいだった」と書いた府道のことで、今でも地元では「八尾街道」と呼んでいます。
そして、ぐねぐね道の正体はどうも旧村内の路地であることがわかります。
昔は村といっても家が密集する形で建ち、その回りを耕作する田畑が囲む、という形でした。私が昔住んでいたところは、旧村内だったようです。
そして、明治時代の地図で大蓮から左上の衣摺(きずり、これも難読地名)、柏田(かした)へ続く道が旧・北八尾街道だったのです。
下にある久宝寺とは、戦国時代から歴史のあるお寺で堺のように堀で囲んだ自治都市となっているくらい、力の強いお寺でした。人も集まり、市も立ってました。