バイト時代の思い出(5)

年が明けると1984年。春になると高校3年生になります。
大学進学希望だった私はバイトを3月で辞めることにしていました。
一応、籍は残しておくけれど、シフトは入れないという形です。

 冬休みはあいかわらず9時間拘束でバイト。クリスマスは今みたいなカップルでのイベント化が始まるころ。むしろ私はそういう日にこそ、シフトに入るタイプでした。2月のバレンタインデーは形ばかりの義理チョコがいくつか。理恵からも一応もらいました。3月、期末試験が終わり、ふたたびバイト強化です。この春休みが終わったら、さよならでした。
 
「フナハシくんは、大学行くんだよね」
 例によって休憩時間のとき。理恵に聞かれました。
「うん、まあそのつもり。現役で受かるかわかんないけど」
「フナハシくんだったら、いけるよ」
「理恵は? どうするの?」
 そう聞くと彼女はうーんと考え込みます。
「進学しても短大かな。私のアタマじゃあね」
「そうかなあ」
「たぶん就職することになるよ。ホントは早く家、出たいんだ。うちのオヤジがどんなのかわかるでしょ?」
「オヤジ」と発音するときに心底いやそうな顔をしていました。

 少し前に彼女の家に電話したとき、背後で泥酔した野太い男の声がなにやらわめいていて、それに対して理恵が「うるせえ、静かにしろ」とヤンキー全開のどなり声で制していたのを聞いていました。
 理恵はやっぱ、素はヤンキーなのか。
 僕は思わず笑いそうになりましたが、電話口では「だいじょうぶ?」と言っておきました。彼女はそのときのことを指して言っているようです。

「やっぱ、フナハシくんと私じゃ、育ってきた世界が違うんだよね……」
 しみじみと理恵が言うのでなにをそんなに深刻なふうに考えているのか不思議に思いました。
「そんな、別に違わないよ。一緒だと思うよ? なにも変わらないよ?」
「んーん、やっぱ違うんだよ」
そう言い切られると、もう何も言えませんでした。

 春休みが終わりバイト生活がとりあえず終わりました。
「またね」
 またいつでも会える、話せると思っていたから、特別なお別れ儀式なんかしませんでした。理恵と最後に会った日や、なにを話したのかまるで覚えていません。

 夏休みは予備校の夏季講習へ行き、模擬テストの合否判定で悲惨な事実を突き付けられ、私は浪人しないと大学進学は無理なのかなと思い始めていました。

 そんな状態の私に9月に入ってすぐにいい話が舞い込んできました。関関同立のある大学の文学部から指定校推薦の枠が一つ来ている、ということでした。専攻は中国文学。評定平均は4.2以上。
計算してみると私は4.3。条件はクリアしています。あとは文学部中国文学専攻というつぶしの効かなそうな専攻を選んでよいものか、そもそも中国文学に興味はあるのか、という問題がありました。ここを選んだら公務員か教師になるしかないかも、なんて思いました。それとライバルの問題です。私よりも成績のいい生徒が志望すれば、即終了です。
 漢文は好きだったし、中国の歴史も好きだったので、学問的な興味はありました。

 半月考えて、推薦枠への希望に手をあげました。他に誰も希望しなかったため、9月末に締め切られて、学校での審査の結果、推薦してもらえることになりました。
12月に面接がありますが、落ちることはまずありません。私の受験は9月で終わりました。
 そんなわけで10月からバイトに復帰したのですが、理恵は夏休み中にバイトを辞めていました。卒業まで半年。大事な時期かもしれないし、第一私は翌春には大阪を離れて京都へ旅立つことになっています。「育ってきた世界が違う」と言い切られたことも気になって結局連絡も取らず卒業することになりました。

 今でも彼女がどういう気持ちだったのかよくわかりません。好意は持ってくれていたのかもしれませんが、自分に圧倒的に自信のない私には理恵のような人目をひく美少女に告白するなんてことは想像外のことでした。それからいろんなことが起こって記憶が積み重なり、いろんなことを忘れていきました。

ただ、あの日。
「ねえ、先週言われたとおりに薄くしてみたんだけど……どうかな」と見上げながら尋ねてきた顔だけははっきりと覚えています。

(おわり)