1988-1989・下
編集者の仕事はおもしろいけれど、勤務時間はむちゃくちゃ。でも、好きな仕事だから気にならなかった。朝から朝まで仕事していた。
いつのまにか夏になって、それも終わりそうな8月下旬、自宅で寝ていたところに電話がかかってきた。最初のアイスクリーム店で知り合っていた菅原(仮名)だ。
彼女は僕より一つ年下で同志社に通っていたが、派閥的には中立派だった。シフトが似ていてよく一緒に仕事をしていたため、すぐに仲良くなった。ただ、2回生になるタイミングで彼女はバイトを辞めてしまった。
しかし、電話番号は知っていたから、たまに電話で話をしたりしていた。彼女は片想いで悩んでいて、相談にずっと乗ってたりしていた。
やがて片想いの相手に幻滅し、別の男性と恋に落ちたが、僕との電話は続いていた。彼女にとって僕はよき相談相手になっていた。
僕が「マド」と別れてフリーになり、上京が確定したので、「デートしよう」とダメもとで誘うと彼氏がいるのにOKしてくれた。
他のガールフレンドたちとは京都市内や足を延ばしても大津程度だったデート先だったが、彼女とは神戸まで行った。神戸の夜景が美しいポートアイランドで初めて手をつないだ。四条烏丸まで送ってさようならをした。きっともう会うこともないだろうと思って。
その菅原から電話がかかってきたのだ。
近々就職活動で上京するという。食事でもどうか、という話だった。
自宅の電話番号は伝えてはいたけれど、かかってくるとは思っていなかった。
8月生まれだった彼女の誕生日に薔薇の花束を送っていたのが効いたらしい(笑)
数か月ぶりに会った彼女といろんな話をした。彼氏とはうまく行ってる、学校は卒業できそう、……そして。
「私も来年から東京です」
えっ!
彼女はある大手新聞社に就職が決まった。それにしても箱入り娘だと思っていたので、まさか上京するとは思っていなかった。
まだ上京して数カ月の僕が渋谷の道で迷い込んでも、「探検みたい~」と笑いながら手をつないで歩いた。そういえば、二人で酒を飲んだのはこのときが初めてだったなあ。
本当は「マド」と別れたあと、気になっていたのは彼女だった。でも、半年後には遠くへ行ってしまうのがわかっているし、第一彼女には恋人がいる。そう思ってあきらめていたのに、あれから1年近く経ってこんなことになるとは。
僕は彼女のことを思った。だけど、向こうは彼氏持ちなんだ。
新居探しのためにその後、再び上京した彼女と落ち合って、食事して、酒を飲んで、手をつないで散歩して……。二人とも酔っぱらってたからやっぱり道に迷って……。でも、僕ができるのはこれが限界だった。きっと、彼女にしてもこれがぎりぎり妥協できる行為だったと思う。だって、彼氏がいるんだから。
春が来て、僕は前妻と知り合う。仕事はさらに多忙になり、それは上京し、就職した菅原もそうだったと思う。
さらにいくばくかの時間が流れた。
最後に菅原から電話がかかってきたのは前妻とつきあいはじめた頃だった。
「京都時代の恋人とは別れてしまった」
「会社で複数の人に言い寄られている」
「その中の一人と今日これからデートしてくる」
最初、彼女は僕に助けを求めに来たのかと思ったのだが、話をしていると、どうもそうではないようだ。
自分の節目になりそうなその日を誰かに伝えたかったのかもしれない。
東男に京女、というが、例のアイスクリーム店に採用されていたこともあるし、彼女は間違いなく美しい女の子だったから、複数の人に言い寄られるというのは想定内だ。
ただ、僕の心の中は不思議に動揺はなかった。
もう新しい恋が始まっていたから。
だからこそ、心の中に「隠してたこと」を伝える気にもなったかもしれない。
「家を探しにきたときに、ご飯食べて、飲んだ日、あったよね」
「……はい、楽しかった」
「俺、……あのとき、抱きしめたいって思ってた。でもできなかった」
「どうして、ですか?」
「だって、彼氏いるし……そんなことしたら嫌われるかと思って……」
「あのとき、私……船橋さんなら、何をされてもよかった」
「え」
「……」
「その、たとえばキスされても」
「……はい」
「それ以上……でも?」
「……はい」
「だって、彼氏が」
「あのときにはもう、終わりかけてたから……それで、いつもより甘えてみたりしてたんです。……でも、たぶん、私には興味がないんだろうなって……あ、迎えにきたみたいなので行きますね」
なんということだ。
もし、あの日、僕と彼女がそういう関係になっていたら、僕の人生はまた変わったことになったかもしれない。
それからどのくらい経ったか忘れたころ、彼女の自宅に電話してみたら、もう電話番号は使われていなかった。
もう20年以上前の話。
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■菅原がバイトを辞めた理由は同志社が田辺キャンパスを新設したため。1回生のときは今出川校舎に通っており、市内まで出てくるから新京極のバイト先にも来れるが、2回生からは京都の南に新設された田辺校舎での授業となった。彼女の自宅も京都の南にあり、市内に出てくることがなくなってしまったため。
■神戸でデートしたポートピアランドもなくなってしまった。
■薔薇の花束は歳の数の22本。
■彼女は祐天寺に住まいを決めた。けれど、一度も僕は行ったことがない。
■結局、最後の電話以降、彼女とは音信不通。この頃は携帯電話もメールもなく、自宅住まいの女の子に電話するのはプレッシャーがあった。本人が出てくればいいが、親、とくに父親が出たりすると緊張感は倍増したものだ。