音楽雑誌の系譜。

昨日、人気音楽雑誌「PATi PATi」と情報誌「WHATs IN?」が休刊するという情報が流れた。
がんばっていたのだろうが、ネットでこれだけアーティスト情報がタダで手に入るのだから廃刊は時間の問題だとは思っていた。

ここで個人の目から見た音楽雑誌の系譜について書く。

もともと日本には音楽雑誌というものは存在しなかった。米国のローリング・ストーン誌はローカライズ版があったが、それはあくまで洋楽雑誌。

当時の日本の音楽業界は「芸能界」の世界で、「明星」「平凡」といった芸能誌がその肩代わりをしていた。明星に付録「The Young Song」はフォーク系の曲も多数取り上げられ、詳しい楽譜とコードも完備。私くらいの年齢のひとはヤンソンでコピーをした人も多いと思う。

そんな中で、フォーク系、そこから派生してメインストリームとなっていく「ニューミュージック系」のアーティストたちを中心に取り上げる専門雑誌が誕生した。

その一つが「シンプジャーナル」であり、もう一つが「guts」である。

「現代用語の基礎知識」を発行している自由国民社が刊行していた「シンプジャーナル」は評論色が強く、また読者から音楽論を公募しており、採用されれば誌面に掲載された。後に「Rock’n’ On Japan」も踏襲する作りだ。「評論派」と言ってもいいだろう。

集英社が発行していた「guts」は芸能誌にややノリが近い。判型やページ数などは今の「天文ガイド」を想像してくれればいいだろう。

日本の邦楽雑誌はこの2誌が引っ張る形で始まった。

フォーク・ニューミュージック系の歌手はテレビ出演を拒否していたため、ファンたちは情報に飢え、音楽雑誌のマーケットが生まれた。

しかし、上記の2誌はグラビアはモノクロだし、紙もよくない。貧乏ったらしい感じの雑誌だった。そこに画期的な音楽誌が発刊される。

それが「ギターブック」だった。最初、季刊で始まった「ギターブック」はカラーのグラビアが多数あり、モノクロページもいい紙をつかっていて充実。「明星」付録の「The Young Song」と同等のクオリティがある付録歌本に、ソノシート、さらには初級や中級のギター講座まで誌面として作ってあった。

またたくまに圧倒的な支持を集めた「ギターブック」は月刊化され、その後20年近くにわたって邦楽雑誌No.1の地位に至る。

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やがて、ニューミュージックとはやや毛色の違ったアーティストたちが出てきた。
(ミュージシャンのことを「アーティスト」と呼びだしたのは前述の「ギターブック」が最初)

たとえば、CCBやチェッカーズというようなアイドルチックなパフォーマンスをみせる人たちを取りあげるかどうか、ということだ。「ギターブック」はCCBは取りあげたがチェッカーズは取りあげない方針を取った。

そこで「ギターブック」の副編集長が創刊したのが「PATi PATi」だった。
時代はビジュアル化してきていた。SME系のアーティスト……TM NETWORK、米米クラブ、渡辺美里、バービーボーイズ、大江千里、などなど……ビジュアル重視のアーティストたちに対して、「PATi PATi」はさらに大きな判型とカラーページ増で時代の流れを取りこんだ。このころに「Rock’n’ On Japan」も創刊されていたが、音楽雑誌とはいってもまったく系統の違う流派というべきものだったろう。

マーケットが各段に広がったためか、他からも「ロックンロール・ニューズメイカー」(ビクターエンターテインメント→ぴあ)「アリーナ37C」(音楽専科社)などが創刊された。

そして平成の時代になるころ、TBSが深夜放送をはじめた「イカすバンド天国」(通称・イカ天)がバンドブームに火を付けた。このころが最も音楽雑誌の売れていたころだろう。
「PATi PATi」からは派生誌の「PATi PATi Rock’n Roll」も創刊された。

さて、音楽雑誌にはさきほど「評論派」がある、と言ったが奇しくもこのころ「シンプジャーナル」が廃刊となり、「評論派」はしばらく「Rock’n’ On Japan」だけとなる(後年「音楽と人」が創刊される)

メインストリームとなったのは「評論派」ではなく芸能誌の流れを色濃く受け継いだ雑誌群だ。「紹介派」と仮に名づけるが、これとも違うもう一つの流れがあった、それが「音楽情報誌」の系統である。

音楽の情報も載せていたということでかなり昔からあったのは「ぴあ」だが、音楽系に特化しさらに広く浅い誌面構成になったのが「WHATs IN?」だった。後年、その流れでぴあが「ぴあミュージック・コンプレックス」を創刊したが、これは長くは続かなかった。

「PATi PATi」とは逆に活字に特化していく形態も現れた。内容を大幅にリニューアルした「月刊カドカワ」である。すると「PATi PATi」は月カドスタイルの新雑誌「PATi PATi読本」を創刊して対抗。

かわいい女の子アーティストが増えてたところに目をつけて「WHATs IN?」から創刊されたのが「Girl Pop」である。

1990年代の前半は音楽業界も音楽誌も百花繚乱、世の中はバブル崩壊で経済は急降下していたが、音楽業界だけはわが世の春を謳っていた。ビーイング系からコムロ系、そして大物アーティストがミリオンを連発しており、1996年度にはCDなどの音楽関連の売り上げは8000億円を突破した。

しかし。

1994年にインターネットが一般開放され、1996年に「ベッコアメ」が定額低料金ISPサービスを始め、徐々にネットの世界が大きくなっていく。

当初は回線が細くくて写真を表示させるのもやっとだったのが、技術革新によってどんどん進化。音楽の情報はタダで手に入るようになっていく。さらにブログやTwitterなどで介在なし、アーティスト本人の声が文字として読めるようになると、もはや音楽誌の役割や立ち位置はなくなってしまった。

なにより技術革新でCDそのものがコピーできる時代になっていた。
音楽の好みが多様化してメガヒットが生まれなくなっていた。

CDの売り上げはどんどん下がり続け、2011年度は3000億円代にまで下がってしまった。たった15年でマーケットが半分になる業界なんて聞いたことがないが、それが日本の音楽業界の現実だった。そこまでシュリンクしてしまった業界に関係する音楽雑誌にはもう居場所がなくなってしまった。

CDの売り上げは下がっているが、JASRACに入る音楽著作権料は上がり続けている。
つまり、ライブなど、CDとは違う形態で音楽は売れ続けているということだ。もっとも、ライブ関連も最近は厳しいという話だが。


フジテレビの長谷川元アナ。

大学の後輩にあたるフジテレビの元アナウンサー、長谷川豊氏が4月2日にフジテレビを退社した。
彼は昨年夏に「滞在費関連費用の不正使用」があったとして業務規定違反で降格処分を受け、アナウンス室から外れ、著作権契約部に異動になっていた。

フジを退社したあと自分のブログを開設、「不正使用など絶対にやっていない。それを明らかにするためにブログを開設した。そのために会社を辞めた」とのこと。

http://blog.livedoor.jp/hasedgawa_yutaka/

まずはニューヨークへ転勤する過程での諸問題を書き始めている。

ここで登場したのがフジテレビ子会社で現地のサポートをしている「FCI」でフジテレビ人事部のW氏というのがいろいろ世話をした。家の契約関係も担当したそうだが、値切り交渉が高圧的で長谷川が家の契約書にサインしたのが家族が渡米してくる前日だったという。

このW氏、アナウンサーとして嘱望されていたが、自身の結婚式のときに同僚のディレクターが作ってくれた紹介VTRの出来がひどいと暴言を吐き、結婚式の席上で殴られた。そのおかげで制作陣からは「Wだけは絶対に使うな」と悪評が吹きわたってアナウンス室に居所が亡くなり、人事部へ配属されたという問題人だったとのこと。

ネットで調べてみたら簡単に特定できた。

渡邉卓哉

慶応卒で2002年入社、2006年に人事に配属、2008年からニューヨーク勤務、MBA取得。

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長谷川氏もなかなかクセのある人物で、ブログには擁護と非難が拮抗しているが、コメント欄を承認制とはいえ開放しているのはよいことではないだろうか。
彼が「絶対にやっていない」というのであれば、それがどう違っていったのか、なぜあのような発表になってしまったのか、ぜひ知りたいと思う。